新婚旅行記 in 東ティモール
1.到着編
眼下に青い海、緑豊かな島々を望むことバリからわずか約2時間のフライト。高度を徐々に下げ始めるとそこには、先ほどのバリの喧噪とは打ってかわって、海岸線にはマングローブらしき木々、珊瑚でくっきりと線が引かれた水色の海と碧い海のコントラストが映える。
数隻のゆっくりと動く手漕ぎ船とどう見ても電気は通ってない掘っ立て小屋風の粗末な(失礼!)切妻の茅葺きが見え始めると、まるでジャングル感覚で気分はいっそう盛り上がり始める。
本当にこの国内線に毛の生えたようなジェット機が着陸できるのか?そんな不安をよそに非常になめらかにあっという間に着陸してしまった。滑走路には真っ白な機体に大きく「UN」と書かれたヘリや飛行機が見えると、つい数年前までは難民キャンプが存在したニュースが頭の片隅をよぎる。 そうして機体は無事にTAXIをしている。あれ? 一つ目の驚きはここで起った。
ん? なんか滑走路でそのままUターンしてるぞ?!
意外とすんなりと降りる準備ができたようだ。しかし眼下にはやや緊張した面持ちの軍服を着た兵士たちが手にしているのは間違いなく本物の銃。その兵士たちが両脇にいる簡単なフェンスで囲まれた通路。これが入国ゲートなのである。
タラップから見渡す風景はちょうど雨期の終わった頃ということもあり緑豊かな島国という印象。太平洋戦争当時、日本軍が降り立った当時と変わらない自然を残しているのだろう。
そして 空港に自分の足で上陸。
ほほを心地よい風がなでる。日差しは指すようなクリアな感じ。しかしバリよりも湿度が少ないのだろうか、日焼けは必至である。
通路の終わりでVISAを買い、簡単な入国審査を済ますとやったー入国。スタンプと手書きで書かれたパスポートの欄をみて懐かしむ。荷物がなかなか来ない。不安になるが周りもだれも来ていない。
大丈夫そうだ。おじさんが一つ一つコンベアに乗せてる。あまりコンベアの意味がないのにも思わず笑みがこぼれる。まるでタイムスリップしたようで、効率至上主義の現代感覚のゆとりのなさを顧みる。 でも 全然問題なし。 南の暖かい国であんまり焦ってもしょうがないのである。出だしからユルーい感覚にとらわれる微笑みの国といったところか。
手書きのバゲッジクレームを照合し、荷物を受け取りようやく到着ロビーへ。
一日一便のバリ便の割に人が少ない。バリのたくましさとはだいぶ違うようだ・・・
こうして 僕の新婚旅行@timorは始まった。
空港にあつまる現地の人々の顔ぶれは、インドネシアとオーストラリアに挟まれた国とは思えなくくらいアジア、オセアニア離れした”まさにティモール人”というイメージ。
眼下に広がるディリ
2.第一印象編
全体的に若く。小柄な人が多く。フローレンス・ジョイナー(古い)風の顔立ちが多くその表情は一様に明るい。
ポルトガル、オランダ、日本、オーストラリア等々現在までにこの国に上陸した国は多い。
その多様性と閉鎖性、そしてこの国の持つ地理的な意味を考えると、人種のるつぼのように多彩な人種がいると思っていた。
しかし、そしてその健気な笑顔の中に、この島国にティモール人というアイデンティーを色濃く残す誇り高き人種なのだろう。
バリの呼び込みの激しさに少々疲れていたところに、「よかったら買ってね(ニコリ)」という感じのしつこくないもの売りは有難い。
騙されたり、ボラれたりするような感じは見られない。
ただし気をつけなくてはいけないのは、一部のオリジナルコインを除いて通貨は全て米ドル。両替所も特にないので、ドルは事前に準備をしなければならない。
物価は総じて高め。バリの物価感覚で考えていたため、米ドルを殆ど持参しなかったため少々あせる。
ただ 街中ではオーストラリア系の銀行ATMがあるそうなので少々安心。
今回は新婚旅行ということもあり、現地に住む友人で元商社マンのS君が仕事を特別に抜け出して迎えに来てくれる。 2年ぶりの再会ということはもう2年も住んでることもあり、現地の人と変わらないくらいとてつもなく黒い。
満面の笑顔は微笑みのティモール人に負けてない。こうして笑顔で世界の裏側を支える日本人には頭が下がる。
お土産のお米と日本酒(純米)そしてマヨネーズにこれほどまで感動されるとはティモールにおける日本食事情は推して知るべし・・・・
街中に出てすぐに気づく事がある。日本車がとても多い。というべきか日本車以外を探すほうが難しいくらい。左側通行、右ハンドルという交通システムというのももちろんあるだろうが、第一に壊れたら困るということだろう。
日本で買ったら車検付きで15万円くらいの車(査定ゼロに近い車)が軒並み100万円以上で取引されているようだ。
そして非常に道路が荒れている。 まさにバケツをひっくり返したようなスコールが降れば道路にはたちまち水溜りができる。日本では道路に穴が空いていて、車が傷がつけは管理責任を問われるのは自治体。しかし、この国には自分のことは自分で守る、そんな自然の掟が待っている。
ディリ市内においては黄色に塗られ個々の思い通りにドレスアップしたタクシーも多く走り、日本製のバイクも多く走っている。世界中で日本製のバイクは信頼性や性能を主として 多くの人々に愛されている。そんな素晴らしい日本製の車やバイクが激しい規制と高齢化によって冬の時代を迎えているが、海外では愛されていると思うと感慨深い。ちなみに オイルやワックス等のカー用品は輸入品のため日本と殆ど価格は変わらず、現地の人の給料比でいったらかなり高価なものなのでしょう。
町を眺める程度で経済は語ることは出来ないが、工場はない。失業率もかなり高そうである。しかし掘っ立て小屋で家族や親戚仲良く暮らす農漁業主体の彼らの生活スタイルは困ったときに助け合う晴耕雨読。この生活スタイルに対して、私のような一旅行者が景気をどうこういうことはナンセンスだと思う。
ただ 国連のスタッフの生活に伴う特需や援助が現在のこの国を支えてるのは紛れもない事実。
国連撤退後に天然資源を活かしてブルネイのように国を発展させるのか、それともケイマン諸島のような金融立国になるのか、それとも水の問題をクリアして、イギリス、日本、台湾のような輸出加工島国に発展するのかは、現在、ティモールに駐留する諸外国人の意向によって決まっていくのだろう。
そもそも東ティモールとはティモール島の東とやらですが、(「ティモール」自体が東という意味なので)「東そして東」を意味するようです。
あんまりティモール人はこだわってないように思いますが。日本ではチモール、ティモールという言い方よりも東ティモールという呼び方が一般的で、「ティモールに新婚旅行に行ってくる」というと、えなにそれっていわれます。で「東ティモール」というと、ああ 聞いたことがあるてな感じ。
で危ないんでしょ?と。 治安は総じて良好。特に身に危険を感じることはなく。危険といわれる場所を避けている限りにおいては、明るい笑顔で迎えられるでしょう。
バリのテロとティモールの独立闘争と混同されがちですが、言葉も宗教も、顔立ちも全然違います。
バケツをひっくり返したような雨
3.街中編
この島国に旅行するとなると、何を期待しよう?
海、魚、夜遊び、星、世界遺産、観光地、渡航検討国?
様々な期待があるでしょう。
一般的な旅行を考えるとすべて期待は裏切られることになる。
この国はすべての物資を海外に依存し、すべての成長を海外に任せてるといっても過言ではない。
スーパーには輸入品が並び、工業製品はおろか、貨幣さえも海外のもの(コインは独自のセント)。ディリ一番の繁華街といっても車で10分も走れば、通り過ぎることができる位。
そして日本だとうらぶれた一泊2500円のようなホテルが数百ドルもする。
ただ小さな国には、思わず笑ってしまう
「秋葉原」がある。目立つ売り物は発電機。
「築地」がある。パラソルを立てて、ベニア板や発泡スチロールの上に魚を並べているだけ。
(良い食材の伊勢エビなどはしっかり氷水につかってますが・・)
イカやタコなんかは木に吊しています。これが魚市場。
あまりいろいろな物を食べる習慣がないとみえる。
「湘南」がある。ただし海は海。海の家はなく、自力で海で遊ぶのだ。
どちらかといえば、海の近くに家があり、本気モードの自給自足っぷりなのである。
お店というよりも、獲れた物(穫れたもの)を体に吊して売っているのである。
体は細くて小さい人が多いけれど、健康そうで眼鏡をかけてる人はいません。
ちなみに物売りの大半は男で、中国やベトナムなどの女性の物売りはほとんどいません。
衣装は民族衣装に身をまといっているのを期待しましたが、ほとんどの人はTシャツにジーンズです。
おしゃれという文化はまだ入ってきておらず、男性物が多く、ワンピースなどはあまり無いようです。
土産物屋や雑貨屋、コーヒーショップ(スタバ的なの)は見当らず、高層建築はない。
ただ 大使館のような立派な建物は国力に合わせて建っています。
5月中旬のスコールはまさにバケツをひっくり返した感じ。
ただ 台風や強風はないとみえて、屋根は雨と熱射を防げばいいといったところでしょうか?
ティモールの築地
4.海編
太陽=光線。まさにレーザービームのように突き刺さる。
その熱い光線はすべての色を引き立たせる。
緑は緑、碧い海は碧。白い砂浜は白。土は土。
今日は海に連れて行ってもらえる事になった。
まさに気分はパリダカ。乗用車では走ることのできない道を四駆でひた走る。距離にすればせいぜい20キロくらいだろうか。半日走ったような気もする。なぜなら 道中はサファリパーク。いろんな動物が普通に道を闊歩しています。車を恐れることなく、自由気まま。動物まで国民性があるとは驚きです。
海の突端には世界で二番目に大きいキリスト像がそびえる。
道が崩落していて近くまで行けないようだったのが残念だけど、この国の誇りの一つとなるほど綺麗なコンストラストの中にそびえ立っていた。
ようやく 混じりっけなしの地球と一体化した民家(電気のない掘っ立て小屋)を眼下に見ながら峠やらガレ場やら海沿いの道を走り抜け、海岸に到着。人っ子一人いない感じのまさにプライベートビーチ。
ほかのお客さん?!は2、3時間に一回 車が通り過ぎる(といっても歩くほどの速度)くらいで、裸で泳いでも怒られることはないでしょう。たぶん笑われるくらいです。
海は半端無く綺麗です。ただ残念なのは地元の人がその綺麗さに気が付いておらず、 ちょっとしたゴミ掃除や道の整備で、とんでもなく美しいビーチリゾートになり得ることを早く理解してもらいたいところです。
おそらく この海の綺麗さと夜の海辺から見る南十字星を含む星。
これがこの国の宝と言えます。
青い空、白い砂浜、漆黒の闇に光る星々。 これ以上に望む物がない人には最高の旅になるでしょう。
テレビや新聞紙の情報しか知らない日本の友人からはネガティブな、医療の欠如や暴動、マラリア等の行きたくなくなる情報ばかり。
ここにはなにか期待して来るよりも、
目的もなく、行った国の数を自慢する人よりも
何かを忘れたい、何かに感謝したい。どんな苦労も経験の内だと・・
そんな頭の空っぽ?!な旅人には選択肢の一つに入れてもいいのかもしれません。
少なくとも激動の中にありながら、時がゆったりと流れてる。
そんな不思議な笑顔の国。それがティモールなのである。
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ディリ近郊のビーチにて
5.帰国編
こうしてあっという間のティモール旅行が終わろうとしている。
欧米に旅慣れている人なら、驚くほど適当な搭乗手続きが始まった。
搭乗開始時間を当に過ぎてから、世間話をしていたポロシャツのおばちゃんがスタスタとやってきて、カウンターに座ったとき、適当さに思わず笑ってしまう。
まあここで急いでも、現地の空港の到着時刻は変わらないんだといわんばかりである。
土産物屋も商売っ気が全く無く、搭乗手続きの前後のみ適当に営業しているようだ。
回りを見ると、急ぐ人もさほどいない。あせる人もいない。
それだけ 時間と心に余裕が無ければ、旅は楽しめない。トラベルの語源はトラブルから来ているのだから。
また税金を払って出国し、国連警察に見守られながら機内へ。入国のときよりは警察官の数も少なく、緊張感もない。国連警察を見慣れたのか、レストランで楽しく食事する非番の警察官の姿を見たからかどうかは解らないが。
思ったより時間通りに離陸した飛行機の小窓から島を覗くと、今回の旅行を通して改めて気が付かされる。海の綺麗さ、そして先進国とは異なる人種、文化が根付く独自の文化と世界の注目が確かにここにあった。
そして、それを支える国際協力に従事する方々、各国の思惑。たとえそれがどんなものであっても、
この国でたくましく生きている全ての人々には頭がさ下がる。恐らく、国連の撤退後には国として独り立ちをしなければならない時が来て、ドラスティックな変革の時が来る。それを乗り越える若いパワーがティモール人の中にはあると信じたい。
最後に、新婚旅行で東ティモールに行く人は少ないと思う。ただ、今後続く家族の本源的な幸せとは何か、助け合って生きていくと何にか、そんな大きなテーマを考えさせられるチャンスがこの「よちよち歩きの国」には幾らでもあった。
それが大きな成果だったと改めて思う。
「働くということ」は、家族のためであったり、食べるためだったり、自己実現だったり、見栄や名誉などなど。人それぞれだろう。
この国の制度を考えると国自体の政策に人生をゆだねるようなこと(資格の勉強など)は、まだありえない。
工業のないこの国で、自分だったら何を目指すか? ただ自分のできることから始めるしかない。
まさにミルク代を稼ぐどころか、ミルクを手に入れるためにどんなことでもするといったところだろうか。
国家とはどういうものなのか?生きるとはどんなことなのか?家族とはどういったものなのか?
彼らの笑顔を通して、考えさせられるモノは大きい。
現時点でのこの国にいろいろな結果を期待するにはいささかかわいそうである。
その代わりといっては何だけど、最高の笑顔と、未来がそこにはきっとある。
そしてそこに逞しく生きる人々には人類の発展してきた歴史の原点がある。
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海沿いのレストランにて
錢谷(会社員)
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