東ティモールは岩手県ほどの面積で、そのほとんどが山岳地帯であり、大都市が発展するような条件もなく、首都であるディリにしても人口約20万人ほどの小さな国です。当国の人口は約110万人(2009年推計)ほどで、大半の人々は地方(山岳地帯)で農業を主体とした生活を営んでいます。ティモールの主たる産業は農業であり、国民の80%は農業従事者です。都市部の失業率は非常に高い(60%以上)のですが、地方においては農業に(不完全雇用として)吸収されているため、それほど高くありません(約9%:2007年国勢調査)。しかし、国民の大半が地方の村にバラバラに住み、その村には電気、水道等もなく、村々を結ぶ道路も未だ未整備なところが多い現状にあります。グスマン首相は「いのちの道路、いのちの水」を開発の第一優先課題としていますが、全ての村々を開発することは困難であり、開発可能な場所への移転・集中が必要とも言っています。小さな国ではありますが、人々がばらばらに暮らしていては開発も難しいということです。
地方に点在する村々には、きちんとした道路もなく、人・物とも交流も少ないようで、岩手県ほどの大きさで100万人ほどの小さな国ですが、36の地方現地語があり、場所によっては隣村とのコミュニケーションがとれないところもあるとのことです。また、東ティモールは、1859年以降ポルトガル領となりましたが、1975年から約25年間インドネシア統治下にあったため、世代間にも言語の壁ができています。16歳から40歳半ばぐらいまでの人はインドネシア語をよく解し、40歳半ば以上の人はポルトガル語を解しますが、16歳からそれ以下の人はテトゥン語と地方言語が使用言語となります。
テトゥン語はもともとはティモール島で話されていた方言の一つで、16世紀のポルトガルによるティモール島の植民地化の頃、通商言語としてティモールに広まったものです。そのため、挨拶などポルトガル語からの借用された単語が多くあります。テトゥン語は他の方言に比べればティモールではよく通じますが、山間部の村々においては現地の言葉が主となり、テトゥン語がほとんど通じない人もみられます。現在、政府は公用語としてテトゥン語とポルトガル語を採用し、その普及に努めていますが、世代間、地理的な壁を破ることはなかなか難しいようです。
以上を背景として、ティモール東部(ロスパロス)の山村の話です。
村には、リアナインという「記録者」がいます。村の戸籍係であり、村のもめ事(裁判)や寄り合い(議会)の記録者でもあります。村の住人一人一人の戸籍(生年月日、婚姻月日等)を記憶(*記録ではありません「記憶」です。)し、村に起きた災害や、村民同士の契約(農産物の貸し借り等)も全て記憶し、村の長老会議の記録も記憶しています。とにかく何かをする場合には、このリアナインが立ち会わなければ正式なものとはなりません。
また、村にはマタンドークという「占い師」がいます。原因不明の病気にかかったとき(経験でわかっているマラリア等をのぞき、たいていの病気は原因不明です)、病院で治療を受けていても症状が良くならないとき(重症になるまで病院には行きませんし、病院に十分な設備や薬があるわけではありません)、占い師が何故その病気になったのか、過去にあった出来事がどのように病気に影響しているのかを占い(?)ます。占いの結果、新たな治療(たいていは煎じ薬等の民間療法です)をします。
マタンドーク(中央)による
腰痛治療(準備段階)
治療中!
治療後の記念写真
(良くなったのでしょうか???)
山村での生活とリズムは、自然に依存した牧歌的な生活であり、自然にそったゆったりとした時間を刻んでいます。日本を含む普通の(合理的な)世界とは全く異なる世界です。また、生涯を村の中で完結することが可能な(あまり外部との交流を必要としない)世界でもあり、グローバルな世界の対局にあります。
このような世界(村)に住む人たちは、自分たちの世界(村)にテレビや自動車がないことを不幸だと思っているでしょうか?
村の女性の自立支援のために活動しているNGOがあります。村の女性達に石けんの作り方を教え、その石けんをNGOがディリ市内で販売し、その売上金を生産者に分けるのですが、村の貴重な現金収入となっているにもかかわらず、売り上げを伸ばすための努力を促しても、必要以上の現金を欲しないとのことです。また、稲作の指導をしていたJICA専門家のお話でも、手間をかければ収量が上がるのに、草取りをするくらいなら現状の収量でよいとして、働かないと嘆いていました。ティモールの人々はけっして怠け者ではなく、お金よりも自由な時間の方を大事にしているのだと思います。自分たちの時間を含めた生活を大事にして暮らす人々、外部との交流がなくとも暮らせる社会、この山村の話をNGOの方から聞いたとき、何となくユートピアを想像してしまいました(たぶん、現実の生活はユートピアとはほど遠いと思いますが---)。
ティモールと同様な小国であるブータンの国王が提唱している「GNH(Gross National Happiness 国民総幸福指数)」というのがあります。普通、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)で国の豊かさを現しますが、モノではなく国民の満足度(GNH)で豊かさを考えようというものです。満足度の観点からティモールの村を見ると、確かにモノはありませんが、人々が不幸と感じているわけではなく、生活に追われて汲々としているわけでもなく、日々を豊に暮らしていることがわかります。ブータンの人々同様にティモールの村人のGNHは非常に高いように思います。
ティモールのユートピアのような村でも、道路を整備し電気を引き開発を進めれば、村の生活は格段に便利になります。しかし、村の人々がこれまで同様に満足した生活を続けることができるのか、若干疑問です。電気がくればテレビもつくでしょうし、テレビを見ればいろいろなモノが宣伝され、モノが欲しくなれば、それらを得るための現金が必要になりますし、現金を得るためにはこれまで以上に働く必要が生まれます。これまでのようなゆったりとした時間を過ごすことはできなくなるように思います。便利な生活をとるか、不便でもこれまでどおりの生活がよいのか---。しかし、村の外の世界はどんどんグローバル化しており、早晩ユートピアのような村(完結した世界)は存在しえなくなるのは明らかです。開発がすすんで学校ができ教育もすすめば、テトゥン語も文字も普及します。そうなれば、ユートピアのような村もティモールの他の地域とつながり、村の社会は根底から変わります。人が生まれれば戸籍ができ、各種証明書が発行され、もめ事があれば裁判所が関与し、村の寄り合いは地方議会になり、文字の普及とともにリアナインの存在意義はなくなり、ユートピア然とした村もアジアのどこにでもあるちょっと僻地の普通の村になります。
開発によって得る便利さと失うもの、どちらが大きいのか---。どちらかを選択する権利もユートピアに住む人々にはもうないでしょう。開発はティモールの発展のためには不可欠であり、情報伝達手段が進んだ現在、閉鎖的な社会の存在は困難でありグローバル化は必然です。そこに住む人々が自らの生活を「文化」として残したいと思っても、彼らの日常は開発とともにどんどん便利になっていき、生活が変わっていけば、それまでゆったりと流れていた時間も、村の文化も一緒に消えていくような気がします。
ティモールは、いまどんどん変わっています。ティモールのユートピアのような村を残しておきたいというのは、開発された便利な世界に住む我々が言えばエゴでしかないと思いますが、願わくば東ティモールがGNPよりGNHの大きな国になってほしいと思っています。
*実は、まだユートピアに行ったことはありません。 当国の地方(ロスパロス)で長く活動をしているNGOの方から聞いた話をもとにしています。
(了)
(沢内)
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