館員の見た東ティモール

 

東ティモールにおける政務的生活(その3)

 

 【タシ・トルでの惨事:決死の館員救出作戦】

 

  2006年4月28日の騒擾事件は政府庁舎の窓ガラスが投石等で破壊され、駐車中の車両数台が燃やされてしまっただけではありませんでした。そこで一般市民2名が死亡。6名が重軽傷を負うという惨状を呈してしまったのです。後で政府の見解を聞くと「コリマウ2000(ドゥアリブ)」という反政府不満分子のギャング集団が嘆願兵のデモに乗じて破壊行為等の狼藉をはたらいていた可能性を強調していました。この他にもコモロ市場で暴力事件が発生し1名が死亡、12名が重軽傷を負う騒ぎとなりました。更に、タシ・トルという国軍(F-FDTL)の本部が置かれている地域で銃撃戦が発生し、2名が死亡したほか、5人が重傷を負う事態となりました。その地域に居住し、28日から翌29日にかけてまんじりと一歩も外に出られずに、一晩中この銃撃戦の銃声を耳にしながら眠むれない一夜を過ごした当館の館員がいたのです。今回は私が自身の安全を顧みず決死の覚悟でその館員を無事に救出した体験をお話しします。

 

 「誰か助け….」「どうされましたか。」「…..自宅….銃声…..恐怖….」無線の電波状況が芳しくなく、スピーカーからの音声も雑音に消されて良く聞き取れません。そんな交信をしながらもやっとのことで当該館員が置かれた状況を把握しましたが、それもつかの間。果たして誰がそんな危険な場所に救出に行くのか。大使館になんとか来ることができた館員は互いに顔を見合わせています。現地人の運転手も怯えている様子です。ディリの地理に詳しく、仮に銃器を持った者と遭遇したら少しでも言葉が分かる奴がいいだろうと言うことになり、私が行くことに。今度は運転手が俺は行かないぞという始末です。しかし、腹を決めてついに救出作戦を決行することとなりました。空港に向かう道路の至るところに投石に使われた石がごろごろ転がっており、前日の騒ぎの激しさを物語っていました。そんな中を突っ走って車は目的地に向かってひたすら進んでいくのでした。

 

 ところが、空港付近のラウンド・アバウトに来ると軍服姿の兵士が自動小銃を抱え威嚇しながら当方の進行を拒んでいます。ここから先の道路も閉鎖されています。付近には完全に燃え尽きて白い煙が立っている家屋もあります。緊張が一気に昂り、全身にアドレナインが浸透するのを感じます。無理に突破すれば命が危ない、迂回するしか方法はなさそうです。隣で震えている運転手に小声で迂回を指示しました。ドンボスコの裏側に向かう小道に入り、車はゆっくりと進んでいきます。その間何度も武装した兵士が通り過ぎていきます。このF-FDTLの出動が後になって大きな問題となり、2006年10月に発表された国連特別独立調査委員会報告の勧告の中で法律的に必要な手続きを取ることを怠ったとして指摘されるに至ります。

 

 以下は私の無線の交信記録です。「現在○○を移動中。」「了解。」「だんだんと道幅が狭くなっていきます。」「了解。」「今度は草むらの中を移動中。」「了解。」「草の丈が高くなっていきます。」「??」「横からも激しく草が車に絡まってきます。」運転手が通行人を捕まえてまだこの先に道があるのか尋ねます。「まだ道あると言ってる。」「どう見てもこれ以上は無理だろう。」「ゆっくり進む。」「ああ、もう道がありません。これ以上進むともう戻れなくなります。」「感度悪し。再唱願います。」視界が閉ざされると、兵士に威嚇される以上に恐怖感を感じます。じっとりと冷や汗で不快指数がピークに達しています。もうこれが限界かと諦めかけていたその時、だんだんと視界が開けてくるではありませんか。運転手がぼそっとつぶやきました。「目的地に到着しました。」(続く)

 

(大橋)

 

 

 

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