週末、東ティモール人の友人に会いに東ティモールの最東端に位置するラウテム県ロスパロスを訪れました。ディリから東に向かって車で約5~6時間、いくつもの山と田園と町をひたすら走り続けたその先にロスパロスは位置します。ラウテム県の東海岸沿いの海と森林の一帯は東ティモール唯一の国立公園に指定されており、この国の独立活動において武装抵抗組織を指揮した英雄的存在の一人、ニノ・コニス・サンタナの名前を取り、コニス・サンタナ国立公園と命名されています。国立公園に指定されるように、この地域は未だ手つかずの自然がそのまま残されているため、様々な動植物が生息しており、さらに見渡す限り水平線が望める海の透き通る青さと壮大な空の青さには、突き抜けるような美しさがあります。
このラウテム県を含めバウカウ、ビケケの3県は、東ティモールの中でも「東部」、インドネシア西ティモールに近い地域を「西部」と言うことがあります。この東部の人々は通常東ティモールの言語であるテトゥン語ではなく、ファタログ語という別の言語を話しており、伝統的な村社会が非常に強いという文化を持っています。またそれだけでなく、東部は東ティモールの独立活動を牽いた武装抵抗組織の支持者が多いため、これがそのまま東部と西部の人々の対立構造に繋がり、2006年の騒擾事件の発端を作り上げてしまったという背景もあるのでは、とも言われています。 このように東ティモールには複雑な文化的・政治的・社会的構造が存在しますが、村の人々の普段の生活は穏やかに、そして緩やかに流れています 。
ロスパロスに到着後、私は友人の実家があるラウテム県のピテリティという村に泊まらせてもらうことになりました。この村にはまだ電気も通っていないため、夜は蝋燭や小さなランプの光で生活をします。村中が闇に包まれるその時、無数に見える星空はさらに際立って光を放ちます。村の人々は遠くから来た日本人の私を家族のように温かく優しく迎えてくれました。村人は皆、今の日本がどういうところなのか、この村とどう違うのか、興味深く尋ねてきます。
この日の夜、村である会合が開かれていました。東部では結婚する際、日本で言う結納のようなものとして新朗側が新婦側の家庭に水牛何十頭もの資産を提供するという風習があります。しかし新朗側の家庭だけではそれだけの資産を賄えないため親戚中を集め寄付を頼まなければなりません。この日新朗側の親戚が何十人も集まり、誰が幾ら寄付するのか話し合いが持たれていました。会合は日が落ちる時間から夜中まで続きます。おそらく話し合いそのものはすぐ済むのでしょうが、何かにつけて村中で集まっては食事や酒を共にしながら様々なことをあれやこれやと話をするというのが、さしたる娯楽のない村では夜を過ごすための楽しみ方の1つであり、またコミュニティの結束を深める機会なのかもしれません。この結婚する男女は新朗が「東部」、新婦が「西部」出身という事実は、この国が平和になりつつあるということを、何か象徴している様でした。
夜も深くなった時、ティモールの友人と地元の酒「サブ」を飲み交わしながら話をしました。彼は言いました。「これまでこの国の独立のために長い間闘った世代があり、ついには独立を果たした世代がある。これからの世代はそれに応えて良い国を作っていかなければならない」。その言葉は、まるでこの村の人々の性格の様に、長い間過酷な時代を生き抜いてきたからこそ出るのであろう、静かな優しさと強さと高い誇りを内包しているようでした。この村への旅行で、相手を思い遣る心を自分自身がいつの間にか失っていたかもしれないことに、気づかされた様な気がします。
獲れたばかりの魚を船から直接購入 ロスパロスの海 村で闘鶏を行っている様子。勝った方は負けた方の鶏を貰える。 村の子どもたち。「マラエ、マラエ(=外国人)」と声を掛けてきます。 ロスパロスのロロサエ(=日の昇る場所)
(農)
(c) Embassy of Japan in Timor-Leste Avenida de Portugal, Pantai Kelapa, Dili, Timor-Leste (P.O. Box 175) Tel: +670-3323131 Fax: +670-3323130