館員の見た東ティモール

 

マウン・ボートと素敵な人々

 

 

 

私は、6月30日に在東ティモール日本大使館での2年1か月の勤務を終え、離任しました。東ティモールでの2年間は新しい発見と素晴らしい出会いに満ちた、私にとってかけがえのない2年間でした。今回は、私にそのような素晴らしい2年間を与えてくれた東ティモールと東ティモールの人たちへの感謝を込めて、これまで私が本ホームページで断片的にしかご紹介できなかった東ティモールの素敵な一面をご紹介したいと思います。

 

東ティモールの魅力は美しい自然、きらめく海、ゆったりとした南国の雰囲気、ポルトガルの影響に独自の要素が加わって発展した文化や食事などいろいろありますが、私が考える1番の魅力は、なんといっても東ティモールの人々です。東ティモールのリーダーたちは皆個性的で魅力に溢れ、明るく心の温かな国民の皆さんと団結して、国造りを進めています。東ティモールは来年独立10周年を迎えますが、このような東ティモールの皆さんがどのような国を造っていくのか、非常に楽しみです。

 

まずご紹介するのは、東ティモールの国民的英雄であり、国民から「Maun Boot(マウン・ボート)」として親しまれている、カイ・ララ・シャナナ・グスマン首相です。「マウン・ボート」というのは、現地のテトゥン語で「Big Brother」という意味で、「頼れる兄貴」といったところでしょうか。グスマン首相は、独立闘争時代ゲリラを率いてきた司令官でした。このように聞くとなんだか怖そうなイメージを抱かれるかもしれませんが、「マウン・ボート」として親しまれていることからも分かるとおり、情に厚く、とても親しみやすい方です。人々を引きつけるカリスマ性とユーモアのセンスをお持ちで、どこに行っても人気者で、国民からの厚い信頼を得ています。

 

グスマン首相は、つい先日発表された「戦略開発計画(Strategic Development Plan, SDP)」の策定のため、昨年4月から9月にかけて東ティモール全土の65全ての準県(Sub-district)を自ら訪問し、各準県において住民との対話集会を実施しました。この65の準県の訪問は、日本の全都道府県の訪問とは全く訳が違います。飛行機や新幹線のような移動手段が存在しない東ティモールでは、車で移動するしかないのですが、道路の整備状況も悪いため、何時間にもわたる車での移動は非常に体力を消耗します。グスマン首相は一度このツアーに出ると、首都ディリに戻ることなく、2週間ほどかけて10ほどの準県を訪問されていました。さらに驚くことは、各対話集会では、首相自らが住民たちに7~9時間ほどかけてSDPの内容を説明し、その後約2時間、質疑応答が出尽くすまで対話集会は続きます。毎回集会が終わると深夜ということも多かったようです。このような真摯に国民と向き合い、全力で国造りを進めるグスマン首相の姿勢に、真のリーダー像を見た気がします。Tシャツにジーンズ、スニーカーというラフな格好で、気さくに国民に語りかけ、多様な人々を率いていくグスマン首相のスタイルは、私のそれまでの典型的な「首相」のイメージとは大きくかけ離れたものでした。

 

住民対話集会でのグスマン首相

ユーモアを交えながらも真剣に国の開発について国民に語り かけます

 

もう一つのグスマン首相の人柄をよく表しているエピソードは、子供たちへの優しさです。私は今年4月に長野県伊那市立高遠中学校で東ティモールについて講演させていただく機会を得たのですが、生徒さんたちが素晴らしい感想を書いてくれたので、その抜粋を英訳して講演報告という形で首相にお届けしたところ、グスマン首相が大変喜ばれ、高遠中学校の子供たちにぜひメッセージを送りたいとおっしゃってくださいました。そして、首相はこれらの感想を書いた子供たち一人一人に呼びかけたビデオメッセージを作成し、それに対するお礼のお手紙が高遠中学校から届いた際には、お手紙を書いてくれた生徒さん1人1人(合計40通)に対し、東ティモールの風景の絵葉書に1枚ずつ直筆のお返事を書いてくださいました。これらのお返事は1枚ずつ内容が異なっていて、首相が1人1人の生徒さんからのお手紙を真剣に読んでくださったことが分かります。

 

グスマン首相をはじめとする独立闘争を戦ってきた東ティモールの人たちは、独立闘争の過程で多くの家族や友人を亡くし、私たちの想像を絶するような辛い出来事をいくつも経験されています。そして忘れてはならないのは、ゲリラを率いたグスマン首相やルアック国軍司令官等を、自身に危険が及ぶことを承知で匿ったり支援した多くの東ティモールの人たちです。ゲリラを匿ったことによって多くの一般の人たちがインドネシア軍に殺されたり拷問を受けたりしました。彼らは自分たちのリーダーを信頼し、自ら犠牲を払ってでもリーダーたちを助けることによって独立を勝ち取ろうとしたのです。このように、戦争の悲惨さや独立のために払った犠牲の大きさを身をもって知っているグスマン首相は、東ティモールだけではなく世界の平和を切に願っておられます。そして、大きな犠牲を払ったからこそ、東ティモールを平和で豊かな国に導いていかなくてはならないとの強い決意の下、日々真剣に国造りに取り組んでおられます。東ティモールの今後の発展や世界の平和のためには、子供たちや若い世代に頑張ってほしいとそのような期待も込めて、子供たちに温かく接していらっしゃるのではないかと思います。

 

6月1日に政府主催で実施された「世界子どもの日」のイベントにおいては、グスマン首相のアイディアで、東ティモールの子供たちが日本の子供たちへのメッセージをバナーにサインしました。このバナーに、「リーダーシップとは、知識で人を率いるのではなく、心で人を率いるものである」というメッセージを書いた子がいました。私はこれを見て、グスマン首相に代表されるようなこの国を独立に導いた素晴らしいリーダーたちの精神はしっかりと若い世代にも引き継がれていることを感じました。

 

バナーにサインする子供たち
完成したバナー

 

私が東ティモールで出会った多くの若い人たちは、東ティモールの発展のために貢献したいという強い意思を持っています。彼らのまっすぐな思いにはっとさせられることがよくありました。平和で豊かな国に生まれ育った自分がいかに恵まれていたかということ、平和がいかに尊いものであるかということ、人生には物質的価値で測ることのできない豊かさや大切なものがあるということ等々、日々考えさせられることばかりでした。

 

大使館で私の広報文化の仕事をサポートしてくれていたマリーナさんという女性にも多くのことを教えてもらいました。彼女は、お母さんが早くに亡くなったため、家族を支えるために大学への進学を諦め、働き始めました。とても頭が良く、独学で英語も勉強し、常に努力を怠りません。今も兄弟や自分の子供の面倒を見ながら日々仕事をし、大学への進学に向けて努力をしています。彼女からはいつも自分ももっと頑張らないといけないな、という良い刺激をもらいました。そして、何よりも心優しく熱心な彼女との仕事は本当に楽しかったです。いつもどうしたら東ティモールの人たちにもっと日本のことを知ってもらえるか、私たちが東ティモールのことをもっと理解するにはどうしたら良いかということを彼女と一緒に考え、いろいろな工夫をしてきました。彼女は私にとって仕事の同僚である以上に、親友であり、(私より年下ですが)先生であり、姉妹のような存在でした。このような素晴らしい人と一緒に仕事ができたことを本当に幸運に思います。

 

マリーナとは多くの文化事業を一緒に実施しました

この写真は「世界子どもの日」でのプレゼンテーションの様子

 

最後に、先日の東日本大震災に関するエピソードをご紹介したいと思います。3月11日に震災が発生しましたが、震災翌日(3月12日)の昼過ぎに外遊から帰国したグスマン首相は、直ちに臨時閣議を招集し、全閣僚出席の下、日本への心からのお見舞いと最大限の支援をする旨表明してくださいました。グスマン首相は約3週間の外遊に出られていたのですが、本国に3週間ぶりに帰国して最初にやったことが日本を支援するための閣議の開催でした。私はこの臨時閣議に中嶋臨時代理大使と共に出席する機会を得たのですが、その場でのグスマン首相やピレス財務大臣、ダ・コスタ外務大臣の心強く温かなメッセージに感動したことを今でもよく覚えています。その他の出席していた全閣僚の皆さんも、日本が今まで東ティモールを支援してくれたことに心から感謝しているので、自分たちのできることは限られているけれど、できる限りの支援を日本に送りたいと次々に表明してくださいました。

 

さらに、この閣議で感動した私は同日夕方にグスマン首相の補佐官にお礼のメッセージを送りました。それに対する彼女からのお返事は、「私たちにできることはこれくらいしかないけれど、日本は東ティモールにとって開発パートナーであるだけでなく、親愛なる友人です(This is the least we could do, for Japan is not only a development partner but also a dear friend of Timor-Leste)」という内容でした。日本のことを「dear friend」と呼んでくれたことに対する感動と喜びは忘れられません。

 

結局、東ティモール政府は日本に対し、今回の震災に関して100万ドルの連帯義捐金を寄付してくれました。それに加えて、大学生や高校生等が義捐金を集めて大使館に持ってきてくれたり、多くのお見舞いのメッセージをいただきました。現在、東ティモールから日本の防衛大学校に留学している学生の中には、地震直後に私の家族の安否を心配してメールをくれた人もいました。地震に慣れていない彼が日本での突然の大きな地震に怖い思いをしただろうと想像すると、そんな状況でも私の家族を心配してくれる優しさに心を打たれました。東ティモール政府からの義捐金は外国からの支援を必要としている東ティモールにとっては本当に大きな額ですが、義捐金のみならず、東ティモールの人たちの温かな心遣いやお見舞いの言葉によって私たちがいかに励まされたかということをこれからもずっと心に留めておきたいと思います。

 

私が東ティモールで出会った素敵な人たちをこの限られたスペースで全て紹介することはとてもできないのですが、東ティモールの人たちの心の温かさや芯の強さ、朗らかさが少しでも伝わればいいなと願っています。東ティモールの人たちは、辛い紛争を経験したからこそ人の痛みが分かる心の温かな人たちであり、のんびりしているようでいざというときには力を発揮する人たちであり、愛国心とプライドを持ち、国の発展のために力を合わせてひたむきに努力する人たちであり、いつも明るく笑顔を欠かさない大変魅力的な人たちです。東ティモールの人たちとの出会いや彼らから学んだことは私にとって、人生の宝物です。東ティモールを離れても彼らとの友情を大切にし、東ティモールの平和と発展を応援していきたいと思っています。

 

日本に留学中の学生の家族を訪問した私を温かく迎えてくれた家族の皆さん
東ティモールの美しい日の出(テトゥン語で東ティモールは「ティモール・ロロサエ」、ロロサエは日本と同じく「日の出」を意味します)

 

 

(小出)

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