在東ティモール日本国大使館に赴任して1ヶ月弱で、東ティモールについてエッセイを書くなど恥ずかしい限りですが、私なりに書いてみます。東ティモール民主共和国は、岩手県とほぼ同じ面積に約100万人の国民が住むアジアでは一番新しい国家です(2002年に独立)。いま、まさに国作りの真最中です。
日本と同じ島国ですが、ここはインドネシアという巨大な島々のなかの小さな「ティモール島」の東半分だけを占める国家ですので、地球儀でみるとインドネシアの中にある点に見えます。そして南に横たわるのは巨大なオーストラリア大陸ですので、地理的にはインドネシアとオーストラリアに挟まれた小国です。
この国の北岸はサブー海、南岸はティモール海を望みますが、国土の大部分は山岳地帯で最高峰のラメラウ山は2963メートルと赤石山脈の甲斐駒ヶ岳とほぼ同じ高さです。この地形だけ考えても、青い海から急に山がそびえ立つという対照的な風景が思い浮かぶと思います。首都ディリは北岸サブー海を望む町ですが、背後には山岳地帯が覆い被さるように待ちかまえています。このような険しい地形ですので田畑の面積は国土面積の約15分の1しかありません。
この険しい地形を持つ新しい東ティモール民主共和国が、急速にスピードをあげるグローバル化の波にもまれながら、国民国家建設の努力をしています。自国の法律作りから始まり、政党政治に欠かせない政(まつりごと)のルール作り、政策の継続性を確保するための官僚制度作り、社会に安心感をもたらす公正な司法組織作り、国家の安全を守るための国軍作り、と「作り」作業の連続です。この作業には創造性が必要なので「国創り」としたほうが適当かもしれません。加えて、国際社会の一員として主張できるように国際機関に加盟したり、国際条約を批准したり、国際舞台で活躍できる人材を教育したり、これもまた大変な作業です。
日本史を思い出す私には、明治時代の経験が思い浮かびます。日本の明治時代の経験からひとつ考えられることは、国民国家建設のためには強い統一感が必要という事です。明治維新後10年の不安定な時期を経て、最後には西南戦争という壮絶な内戦で日本統一にこぎ着けた明治政府は、国家の基礎として憲法の起草にやっと集中することができました。明治憲法が発布できたのは明治22年ですので、随分時間がかったことになります。
一方東ティモールは、憲法を2002年5月の独立と同時に発布しています。もちろん、1999年の住民投票、2001年の制憲議会選挙、そして憲法起草から公布まで国連を始め国際社会の強い支援のもとでできた成果であることは否めません。そして2006年の内紛、2008年の大統領・首相襲撃事件などを見ると、国民はまだ強い統一感を探している最中のように見えます。国家統一の意思を外国の脅威に求める方法もありますが、隣のインドネシアとオーストラリアを脅威とみなす要素は今のところあまりありません。東ティモールはどのようにして強い統一感を獲得するのでしょうか。
東ティモールの国歌に謳われる「圧政からの解放」は、国家意志の基礎になりますが、同時に圧政から解放された国民の期待に為政者が応える義務を要求します。5月20日は独立回復日という国の祝日です。東ティモール国民がどのような国家統一の意志を示してくれるのか、楽しみにしています。
(河野)
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