―7年余の体験を通して見聞したこと―
私が初めて東ティモールを訪れたのは、JICAの「東ティモール大学工学部支援の事前評価調査その2」として2003年9月末であった。その後毎年のように1ヶ月程度滞在してプロジェクトの事前調査や土木工学科の支援に関わり、2007年8月から「東ティモール大学工学部支援プロジェクト」が本格的に開始され、翌年の4月から2年間は毎年7~8ヶ月滞在してプロジェクトの活動に携わり、2010年3月にプロジェクトは終了した。このプロジェクトの活動内容については、既に小川陸郞博士が本ホームページに投稿しているので、それを参照していただきたい。ここでは7年余の体験を通して見聞したことを紹介することにする。
初めて東ティモールを訪れることに決まった頃、東ティモールはインドネシアとの独立戦争後に国連や各国の支援によって21世紀最初の独立国になったくらいの知識しかなかった。渡航前にJICAの担当者から東ティモールの実情の説明を受けた。また東ティモールのNGO活動や国際協力・平和構築に携わっている埼玉大学の山田満教授(現早稲田大学教授)にも状況をお聞きした。しかし、両者の話には大きな隔たりがあり、どちらがほんとうかと不安を抱きながら東ティモールを訪れた。空港からディリ中心部に向かう道筋に、独立戦争で焼き討ちされた数多くの建物や至る所の傷跡を目の当たりにして(写真-1、2)、これは大変なところに来てしまったというのが第一印象であった。当時は、「東ティモールに行く。」といえば、多くの方々から即座に「無事に帰って来ることができるのですか?」という問が投げかけられた。
しかし、1ヶ月近く滞在して、生活面で多少の不自由さと物足りなさはあるものの、治安面で全く不安を感じたこともなく、しかもいろいろ新たな体験をすることができた。前述のJICAの担当者の話は主にディリの説明であり、山田教授は主に地方の話であり、両者の情報はどちらも正しいことが後になって分かった。
最初に東ティモールを訪れたとき、もう一つ印象的な出来事は、東ティモール国立大学の第1回の卒業式が厳粛に整然と行われたことであった(写真-4)。独立直後の大変な時期にもかかわらず、儀式を重んじる国であるとともに、卒業式は東ティモールの将来の発展を期するもののように思われた。その後6年間に卒業式は2回しか行われていない。
この7年余の間に、東ティモール国内、国民、経済、治安、インフラ整備、学校教育などは、確実に進歩・発展しているが、その歩みは想定よりも遅いと思われる。その理由は、長い統治時代の不十分な学校教育、政治・行政の経験不足、低い経済活動、管理・運営能力と経験の不足、ポルトガル語とテトゥン語を公用語にしたこと、競争意識が乏しいこと、ドナーが多過ぎることなどによると思われる。インドネシアの統治下では、政治・行政・学校教育などはインドネシア人によって管理・運営され、東ティモールの人々は受け身であったといわれている。また、日常使っているインドネシア語を排除してポルトガル語を公用語に加え、2012年から学校教育は原則としてテトゥン語、またはポルトガル語で行うことになっている。現在の大学生以上のほとんどはポルトガル語の教育を受けていないにもかかわらず、公文書などはポルトガル語を用いているので、諸手続に多くの日数を要している。このような東ティモールを日本に例えると、明治維新と第二次世界大戦の敗戦が同時に来たようなものである。そのうえ言葉の問題で国民に二重苦、三重苦を強いていると思っているのは筆者だけではないであろう。このような状況下にあっても、東ティモールはここ数年の間に各国の支援を得て法律整備や新しい政策が数多く発表・施行され、新しい東ティモールが動き始めており、今後の進歩・発展は徐々に加速されて行くと思われる。
東ティモールは人口約110万人、国土は約15,000 km2で長野県くらいの面積であり、東西約280km、南北約15~90kmの細長い島国である。国の西部中央には、最高峰2,963mのラメラウ山があり、国土の約6割は山岳地帯である。そのため、地形は日本以上に急峻で、乾季には河川の水が伏流水になり、水無川になる河川が多い。このような河川では、人工的な護岸、堤防が設けられていることが少なく、流路工もあまり施されていないので、豪雨によって中小河川が氾濫することも珍しくない(写真-5)。
東ティモールは車が唯一の交通機関であり、そのほとんどが中型と小型車両である。主要な町を繋ぐ国道は1,400kmにも及ぶが、市街地を除くと幅員6m以下の簡易舗装道路が多く、未舗装道路や橋がないために河川敷を道路にしていることもある。また、市外の道路は線形が悪く、アップダウンが激しく、現地のドライバーは高速度で走ることが多いので、慣れない同乗者は車酔いになることもある。
地形が急峻なために豪雨によって崖崩れ・山崩れ、落石、浸食による斜面災害や地すべり地域が広く分布するために地すべりが多く発生し、道路が通行止めになることがしばしばある。道路の交通閉鎖は社会活動や日常生活に大きな影響を及ぼすため、東ティモール政府は斜面災害の防止対策や被害の軽減策を緊急の課題としている。国道1号線のディリと東隣のヘラを結ぶ約数kmの山岳道路は斜面破壊の危険性が高く、危険箇所への対策が指摘されていた。2009年頃から豪雨による地すべり、崖崩れ、落石、浸食が多発した(写真―6、7)。これらの災害の多くは、日頃の道路パトロールと維持管理をすればある程度防止、あるいは被害軽減が可能である。例えば、側溝や排水管に詰まった土砂やゴミの除去や路面の補修などである。道路以外のライフライン整備、水資源管理やゴミ処理などの環境整備が大幅に遅れており、ドナーの支援を得てこれらのインフラが整備されつつある。
これまで東ティモールの悪い面のみを述べたようであるが、東ティモールには良い面もいろいろある。最も素晴らしい点は、ほぼ全土に見られる豊かな自然である(写真-8~11)。先進国のみならず開発途上国でも失われつつある自然がほとんど手をつけられずに残っている。例えば、のどかな風景、サンゴ礁の発達したきれいな海などの自然の景観、固有な動植物など、筆舌に尽くしがたく心が癒される感じがする。その反面、夜間にディリの海岸にワニが出現したこともあるので、注意が必要である。今後、東ティモールの発展のために豊かな自然が少なからず壊されるのは止むを得ないが、その程度は最小限にして自然を大切に守って欲しいと思う。ましてや外国企業などによる現代的な観光開発などはぜひ止めていただきたい。
東ティモール人は、温厚な性格で実直な人が多く、見知らぬ外国人に対してもいつも笑顔で対応してくれる人が多い。そして、物乞いに遭遇したことがなく、置き引き、ひったくり、窃盗などの犯罪が極めて少なく、通常は安心して生活できる国である。
これまで東ティモール大学工学部の教官等を長く指導して感じたことは、一部に優秀な教官がいるものの、英語能力の問題、学力と体系的な思考能力の不足のために、「一を聞いて二を知る」までにいかない教官が多い。人間の能力は小学校からの積み重ねと論理的な理解によって決まるものであり、再教育によって容易に改善できるものでない。時間をかけてこつこつと指導していく必要があると思う。また、最近は政府や大学によって教官の競争意識を助長する施策が取り入れられるようになり、次第に支援効果が現れやすい環境になりつつある。
一方、多くの教官は親しみやすく、日本人以上に律儀である。例えば、プロジェクトの専門家などが帰国する際は、ささやかな送別会を催し(写真-12)、再度の訪問や指導を懇願するなど、ときには感傷的になる専門家もいるほどである。そのため、同じ専門家が二度三度と来ることが多い。
東ティモール大学工学部支援プロジェクトの第二フェーズは、2011年早々から開始される予定である。
現在、東ティモールには大使館、JICA、国連、NGO、建設会社、コンサルタントなどの関係者約100名の邦人が長期滞在し、その大半がディリ市とその周辺に住んでいる。また、1~2週間の短期に訪れる人々も多い。東ティモールは小さい国のため、所属機関、業種、分野を超えた横の繋がりが非常に強い。老若男女を問わず週末にはバドミントン、テニス、ソフトボール(写真-13)を行ったり、何かにつけてパーティー、送別会、カラオケ大会などを行い、ときには参加者が30名を超えることもある。そのお陰でいろいろな分野の方々との交流を深められ、得られた情報は業務にも役立っている。このように繋がりが強くなったのは、北原大使をはじめてとして多くの関係者のお陰であり、感謝している。
筆者はこの7年間に10数回東ティモールを行き来している。ディリに1か月以上滞在すると先進国の利便性、情報、喧噪、味、臭いなどが恋しくなる。しかし、帰国してしばらくすると無性に東ティモールが恋しくなるとともに、気になることが思い浮かんでくる。これは、筆者の単なる我が儘かもしれないが、東ティモールの豊かな自然と実直な人々、カウンターパートとの絆、喧噪から逃れて心休まる生活、邦人社会の繋がりなど、魅せられるものが多いからである。
風間(東ティモール大学工学部支援プロジェクトチーフアドバイザー)
写真-1 焼き討ちされたディリ市街地の状況(2003年)
写真-2 ディリの市街地(2003年) 写真-3 コモロの青空市場(2003年)
写真―4 2003年10月7日第1回東ティモール国立大学の卒業式
大量な濁流が流下する河川 堤防を越流する洪水の状況写真-5 Hera Campus 付近の河川洪水の状況(2010年3月2日)
2008年5月27日 2009年12月15日
2010年2月25日 2010年3月7日写真-6 ディリ市ベコラ地区の国道1号線沿いの地すべり
写真-7 ディリ~ヘラ間の国道1号線の峠付近の地すべりによる陥没(2010年3月7日)
写真-8 ディリ市の海岸通り 写真-9 ディリ東部の美しい海岸
写真-10 ディリの海辺で休日楽しむ人々 写真-11 ディリの夕日
写真-12 東ティモール大学工学部教官 写真-13 邦人らによるソフトボール
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